原則性と柔軟性 4

国連憲章の原則の中でももっとも重要なものの一つが、独立主権国家の対等平等性という原則です。


・・・この原則を認めた場合、互いに相手国の内政には干渉してはいけないということが出てきます。


つまり、憲章の第2条7項は、「この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではな」いと定めています。


・・・これはむずかしく書いてありますが、要するに、内政干渉をしてはいけないという原則を定めているのです。


しかし、規定を見ればわかるように、安保理は最終的には加盟国を軍事的に制裁する可能性を公然と認めています。


さらにまた、国連では、憲章の規定からは出てこない、あるいは規定からすると果たして認めていいのか疑問なことまで、実際上の必要、あるいは便宜的な理由で、認められることもあるのです。

原則性と柔軟性 3

「書いてあるのにやらないのはけしからん。行政の怠慢だ」


・・・という話になります。


しかし、国連憲章の場合、同じような論法で批判しても、その批判をする人(国家)の見識が疑われるのがオチです。


「それが現実なのです」というしかない。


また、国連憲章の条文の中には、内容的に相互に矛盾があるものが少なくありません。


例えば、すべて国家は平等であるという規定(国家の平等原則を定めた第2条1項)があるのに、同時に大国に対して安全保障理事会で拒否権を認める(第27条3項)のです。


また、一国一票主義という原則(第18条1項)があるにもかかわらず、ごり押しをしたソ連に対しては3票与えるのです。


原則性と柔軟性 2

「落し穴」とは、国内法を見る目で条約を見るということです。


・・・条約の条文を解釈するときも、国内法を解釈するようになってくるのです。


やや前ロ上が長くなりました。


私は、このような国際的な多国間の条約、国連憲章もそうですが、あまりしかめっ面して見ないでくださいということをいいたいのです。


例をあげた方が分かりやすいでしょう。


国連憲章には周知の、というより、本来的には憲章の中でももっとも重要な部分である、集団安全保障の規定があります。


これについてはあとで詳しく扱いますが、要するにそこで予定されていた国連の機能はほとんど実現していません。


国内法であれば、根幹部分に当たる内容が実現しないというようなことはとうてい許されないことです。

原則性と柔軟性

時に、「法律の不備」が指摘されることはあります。


また、故意に「行政の裁量」の余地をなるべく広く残しておくようないわゆる「ザル法」が作られることもあります。


・・・しかし、国内法に比べた場合、条約の内容的粗雑さは否定しうべくもありません。


さて、いったんできた条約を国内的に受け入れるためには、その条約を結ぶことについて国会の承認を得なければなりません(憲法第61条)。


そして、国会の承認を得ますと、条約は国内法としての効力を持つようになります。


ところで、多くの条約は外国語でできています。


とくに多数国間で交渉する条約の場合は、日本語で作られることはまずありません。


したがって、国会の承認を求める前に、その日本語訳を作る必要が出てきます。


この日本語版については、国内法の場合と同じで、内閣法制局の審査が必要なのです。


・・・そうなりますと、条約の日本語版に関していう限り、いかにも国内法的な装いを醸し出すことになります。

日本の輸出構造 3

輸出主導型の産業.経済構造は、ぜい弱な側面をもっています。


そのため、自国でコントロールの効く、内需中心の産業・経済構造の方が、意のままに政策展開ができ、安全保障の確率は高いといえます。


貿易に伴う経済安全保障のためには、支払い決済にどの通貨を使用するか、すなわち自国通貨か、他の国の外貨にするかも、大きな課題です。


日本・西ドイツ両国が輸出する際、どの通貨でどれぐらいの割合で契約をしているかを示したものがあります。


また、同じく日本のここ数年間の推移を示したものもあります。


この2つの図をみると、まず第一に指摘したいことは、西ドイツが、輸出の80パーセントをマルク建てで行っていることです。


要するに西ドイツの企業は、輸出の代金支払い全体の80パーセントはマルクで受け取っているのです。


・・・しかし日本の場合には、自国通貨である円建ては多い時で40パーセント、平均35パーセントなのです。

日本の輸出構造 2

輸入に関していえば、日本が大豆の輸入をほとんどアメリカに頼っていた昭和40年代半ばのニクソン大統領時代に、アメリカの大豆が凶作のことがありました。


アメリカがとった当時の処置は、大豆の輸出制限でした。


そのため日本では、たちまち大豆の値段が高騰した結果、庶民生活の代表的食品である豆腐が、庶民の口から遠のく時が、一時的にしてもあったのです。


また昭和48年に起こったオイル・ショックは、日本が石油の輸入を全面的に中近東諸国に依存していたため、国内産業に破壊的インフレをもたらしました。


それだけでなく、トイレット・ペーパー、洗剤など消費生活までも大パニックに陥れたのです。


輸入に関するこの教訓は輸出に関しても同じ論理があてはまります。


世界の大国であるアメリカといえども、いつどうなるかわかったものでないでしょう。


その時に、日本の輸出が40パーセント近くもアメリカ経済に頼っていたならば、輸入と同じことになるでしょう。


そのためには西ドイツのように、危険分散の上でも貿易相手国は多岐にわたっている方が安全なのです。


・・・と同時に輸出という外国からの需要は、国内の需要と違って、相手国の事情によって大きく左右されるため、相手輸入国がダウンすれば、たちまちこちらもダウンする運命になるのです。

日本の輸出構造

日本と西ドイツの輸出が、国別にどれぐらいの割合となっているかを示すものがあります。


西ドイツの場合、EC諸国を含めてヨーロッパ諸国すなわち近隣諸国(ここでは共産圏は除く)に輸出している割合は、全体の67・3パーセント、ほぼ7割近くを占めており、名実ともに世界のナンバー・ワンです


しかし、アメリカには10パーセントしか輸出していないのです。


一方、日本の場合は、西ドイツの近隣諸国に当たる東南アジア諸国には、わずか19パーセントにもかかわらず、アメリカには37・2パーセント、約4割近く輸出しているのです。


・・・このことは西ドイツは輸出を通して近隣に友邦国をたくさん持っているのに対し、日本は近隣アジアに友だち国をあまり持っていないことを意味しているのです。


・・・と同時に、日本の輸出構造が、あまりにもアメリカ一辺倒になっていることを意味しているのです。


安全保障という言葉は、いろいろなところで使われます。


しかし、輸入にしても輸出にしても、特定の国にかたよりがあると、貿易立国としての日本の安全保障は、いささか心もとないのです。


・・・このことは、わずか戦後40年あまりの歴史の中でも、日本は経験しています。

加工貿易国にとって近隣国のもつ意味 2

反面、日本・西ドイツのように前向きの姿勢で、近隣諸国に直接投資をし、それらの国々を工業化する努力を怠ってきたことは、責められるべきでしょう。


最近、NICSを中心に急速に工業化している国々が、日本の近隣に増えていることもあり・・・


日本も今後は円高理由だけでなく、製品輸入、部品輸入を増やし、また増やさざるを得ない立場に立っているのです。


その意味で日本は一刻も早く、"輸入しない"あるいは"できない"産業構造から"輸入する"あるいは"できる"産業構造に転換する必要があります。


・・・そして、それは特定の国からだけでなく、より多くの国から輸入するような構造でなければなりません。


このことこそが、天然資源が乏しく、加工貿易に依存しなければならない日本が、砂上の楼閣にすぎない擬制の自前経済の危さを分散し、かつ国際社会で生きていける唯一の道なのです。


そのためには、輸入だけでなく、輸出構造の転換も必要なのです。

加工貿易国にとって近隣国のもつ意味

日本の貿易の中で、完成品、部品の輸入の占める割合は小さいのです。


しかしこれに加えて、日本が今まで置かれてきた地理的条件、歴史的条件を視野に入れておかないと、日本がなぜ水平分業あるいは部品輸入が低いかを十分解き明したことになりません。


地理的・歴史的条件とはこうです。


西ドイツが、日本よりも水平分業(製品輸入)、部品輸入が進んでいるのは、ヨーロッパ近隣諸国に、一定のレベルまで工業化した国々があったことです。


そして西ドイツは、ECという統合経済の中で、積極的に近隣諸国に直接投資をし、工場をつくり、生産が可能だったのです。


・・・しかし、日本の場合、西ドイツと違って、最近まで近隣に工業国をもっていなかったという事情がありました。


したがって、水平分業、あるいは部品輸入をはかろうと思っても、それは不可能に近い状態でした。


そのため、国内で工業製品をつくるには、国内で部品などを調達せざるを得なかった状況が、日本の産業構造を自己充足型にしてしまった原因の一つでもあります。


この点では日本には同情の余地はあるでしょう。

菜園の法則 2

車には新しい農場のために馬と牛と…機械、そして、新しい家のためにはストーブとベッドとピアノが満載されていました。


アイダホ〈砂漠〉の真ん中のバーレイで荷物を下ろし、スネーク川を8マイルさかのぼったデルコにある彼の土地に向いました。


彼が選んだのは耕作には向かない土地で、そのうえ零度近い気温が何か月もつづき、夏には華氏百度(摂氏307.7度)以上にもなるという厳しい気候でした。


時折激しい風にも見舞われます。


冬には吹雪となって道をとざし、他の季節にはさらに強烈な塵と砂のブリザードとなって吹きつけます。


さまざまな花 種、ヤマヨモギが一面にはびこって、灰色の波のように風に揺らぎながら地平線にかすむ山脈のかなたまで広がります。


強い根で大地にしがみつき、鋭い刺をつけて密生し、節だらけの枝のはうな茎で人の行く手を阻んでいます。


その繁みの間には、枯れた根なし草が砂地にはりついています。


生命あるもののしるしとしては、繁みに跳びはねるワタオウサギ、真昼のそよ風の中でチュンチュンと鳴くマキバドリ、石や溶岩の間に潜むガラガラ蛇を時折見かけるだけです。


川の近くにも樹木は少なく、ポプラや柳のひょろ長い姿がまれに見られるだけです。


樹木の割れ目には白頭ワシやイヌワシが大きな巣をつくっていました。


黒い溶岩の絶壁から眼下の岩や砂地やヤマヨモギを見下ろすと、そこには耕地になるものと信じ込んでいた土地がひろがっているはずでしたが、しかし、シンプロットの目に映る緑はスネーク川の流れだけでした。