菜園の法則

荒地を沃野に変えるもの


荒地を沃野に変えるもの


菜園を人に貸してみるがいい


あとに残るのはいつもきまって


荒れはてた畑。


だが荒れはてた畑でも


それが自分のものになるならば


いつかそれは立派な菜園に生まれかわるだろう。

・・・このような古くからの言い習わしが教えているのは、同じ土地でも条件によってまったく違ったものになるということです。


野菜 種にもいろいろありますしね。


絶大な権力をもつ国から借りただけの土地は荒れ地となりますが、所有権も利益も完全に自分のものになる土地は、実り豊かな平野となります。


しかし古くから言い伝えられてきたこの菜園の法則も、1909年の初め、チャールズ・リチャード・シンプロットの自作農場で厳しく試されることになりました。


やせてはいるが強靱な体、鋭い目、長くて太い鼻をした、このスコットランド人でユグノー教徒の屈強な農夫は、頑固なヤマヨモギのはびこるやせた砂地で食物を求めて悪戦苦闘していました。


広大な肥沃な土地と身重の若い妻を残してアイオワを後にしたのは数週間前のことでした。


さらに広い天地、大いなる自由を求めて、彼は2台の〈移住用〉有蓋馬車で北西に向いました。

人間の共存者 2

そのことに対して、単に、緑が、虫が、野鳥がという個別の立場からさらに進んで、人類の生存保障の基本として、森も、緑も、自然も守らなければなりません。


そのためには、現在のように各種の法体系が後追いしている状態では不十分です。


健全な人間の生存生活を守り、確実に生命固有の文化・経済・社会を発展させてゆけるようなシステムが、より確実に、より本質にせまって体系化されることを望みたいのです。


わたしはもともと植物生態学という限られた専門分野の知見しか持ちあわせていません。


しかし、広く一般の方はもとより、現在、法律・行政・教育・社会・企業などの各分野の第一線で活躍しておられる方々に「緑の環境」の本質をより深く御理解戴きたいのです。


出来れば、今後のお仕事の中に少しでも反映して戴きたいという願いから、「滅びることのない都市づくりとは」というテーマで座談会を開いて戴きました。


長年の私の友にお願いし、現在、日本の行政官の中で、もっとも積極的に緑の森の復権を具体的に進めておられる当時の熊本県知事に出席して戴きました。

人間の共存者

互いに少し我慢しながらも、間違いなく生きのびる、その具体的姿を、會まで多彩に分化桜発展してきた生物社会は示しています・・・。


生物社会のこの様な共生の実体を、物言わぬ、移動能力のない、しかも動的に強い自然の表現力としての森的みどりに代表させて、本書にまとめられています。


また、もう一度、21世紀を生きのびる新しい時代の都会人として、豊か念性と智恵ある新しい人間の眼をも.て、生活域や職場のまわりの樹林を見直して欲しいのです。


今まで時には嫌な敵に思えていた森や林が、実は長い生命の歴史の最後に出てきた人類、限られた地球上で、きわめて弱い立場にある人間の頼もしい共存者として映らないでしょうか。


私たちが間違いなく、孫子の代まで健全に生きのびてゆける命の証として、飽きない美しさをたたえた生命の森、潤いある心を養う緑に見えることを期待したいものです。


今日、急成長を遂げる都市の膨張によって、容易に回避がきかないほど森林や自然環境が破壊されてきています。

システムの時代の労働

OpenSSOのような職務の拡大運動にせよ、職務の充実運動にせよ・・・


私は決して単なる労務管理の巧妙化だとして単純に否定し去ろうとするつもりはありません。


なぜなら、それは資本主義的労務管理の領域においてはじめておこった、労働の人間にとっての意味を労働の構造にまで掘り下げようとする反省の萌芽なのだから・・・。


しかし、反省は、徹底して行なわれなければならないし、何よりも甘らの動機にまで及ばねばなりません。


それが単に労働の能率向上のためなのであれば、それもまた結果は、人間の操作のために人間について反省してみようという試みの変種にすぎないと言わねばなりません。


人間は、意味を求める。


手ごたえを求める。


自由を求める。


対象との格闘の中で自己を確認することを求める。


・・・こうしたひとつひとつの条項の全き意味を、根本的に考えなおしてみることを、この一世紀の労働の歴史は、.わたしたちに要求しているのです。


いまおこりつつある変化、これからおころうとしている変化については一体どうでしょうか。


これからはシステムの時代。


情報化、知識産業の時代だ。


・・・というのがジャーナリズムのかけ声です。

石鹸を選ぼう 9

合成洗剤を使った場合のLASのヒトに対する影響、あるいは影響の可能性については、次のように整理することができます。


・厚生省が1984年に4つの大学付属病院に委託した、「家庭用品による皮膚障害の実態調査」の報告結果では、第1位に合成洗剤による障害があげられています。


このことは合成洗剤の大部分の主剤であるLASの問題性を示したものといえます。


・ネズミの皮膚塗沫実験では、明らかにLASが皮膚から吸収され、血液に移行し、体内を循環して各組織に分布することが証明されています。


・同様にLASの皮膚塗沫によって、ネズミの妊娠率の低下も起きることが報告されています。


その投与濃度のレベルがどうであれ、LASがこうした重大な生理的影響を与えうる化学物質であること自体に注目しなければなりません。


こうした物質は極めて異例であるといえます。


傾非常に低いLAS濃度で、肝臓のミトコンドリア部分での呼吸活性の阻害が起こることが、生体外の実験ではありますが、報告されています。


石鹸を選ぼう 8

これまでに報告された種々の生物影響がみられるLASの水中濃度についての要約があります。


これを見ると、魚のLAS忌避濃度は0.01ppmのレベルであるとするデータもみられます。


たとえば、琵琶湖に流入する河川の河口部でも水中LAS濃度の実測値は表①の有害性の限界値である0.1ppm以上のところが多く、川底の土などではさらにこれを上回っているとされています。


また、一般に報告されている各地の中小河川のLAS濃度でも、1ppmを上回るところが大部分です。


したがって、LAS系洗剤が環境・生態系に対して重大な影響を与えていることは否定できません。


もちろん石けんでも、その濃度が高ければ生物に対して悪影響を与えることは当然です。


しかし、石けんの魚に対する急性毒性はLASの10分の1以下で、しかもLASよりもはるかに分解性が高く、現自然界ではただちに消滅するので、事実上問題になりません。


この点について企業の関係者の一部の人びとが、LASの高濃度水域ではBOD値(生物学的酵素要求量)も高く、共存汚染物質も多くなるので、LASだけを問題にするのは正しくない、などということがあります。


しかし、少なくともLASの残留が0.1ppm台程度の水域で、BODの濃度などが余り高くないところが現実に河口部など各地に見られます。


しかし百歩譲っても、生物に影響がでないようにBOD値も共存汚染物質の量も引き下げ、そしてLASも、それぞれに除去するために努力すべきだと考えます。


影響濃度域でのLASの残留を、正当化するような論理を採用することはできません。


石鹸を選ぼう 7

最近の合成洗剤、ことにコンパクト型、外資系などの洗剤に含まれる界面活性剤の主流はLASです。


排水に含まれるLASによる環境や生物への影響、および人体に対する毒物学的な影響は大変に重要な問題です。


実測される環境内のLASの残留濃度は、家庭排水、河川、湖沼、海域、地下水などに1000~0.01ppmの範囲で分布しています。


わたしたちが水や環境を守ることを考える場合には、この濃度の範囲全体でLASによって起こりうる生物への影響をすべて問題にする必要があります。


これまで、企業側を代弁する一部の関係者は、LASが非常に薄められている末端水域でのLASの残留濃度の観測だけを持ち出して、


「LASによる環境・生物に対する影響は認められない」


などということがありましたが、これは実態を正しく反映したものとはいえません。

有料制のリサイクル

こんにちは。


エコ活動、ごみの分別、リサイクルトナーなどなど、今リサイクルや環境問題には高い注目が集まっています。


リサイクルの有料制は用い方いかんによってはきわめて有意味で、物的効果も期待できます。


しかし、事業系ごみや粗大ごみを除いた家庭ごみの収集に有料制を採用している市町村は、きわめて少ないのです。


ちなみに本州に比べて有料制をとる市町村が多い北海道を見ても、89年の時点で、道内の212の市町村のうち有料制を実施しているのは、根室市、紋別市など29市町村で、全体の13・7%にとどまっています。


これに対し、同じ清掃事業でも、し尿の汲み取りは有料制が一般的です。


その理由としては、し尿の汲み取り量はバキューム車に取り付けている計量器で簡単に計れますが、ごみは収集のたびに計量をするのは手間がかかり過ぎるのです。


したがって排出量に応じた処理料の計算を細かに行うのは難しいこと、といって月決めで一定の料金をとると、往民はかえって「金を払っている」というわけで態度が大きくなる傾向がないではなかったこと・・・。


し尿の収集は、市町村の直営もしくは委託業者で行っているごみ収集に比べて許可業者、すなわち営業を許可された業者が住民から料金を取って汲み取り事業を行う仕組みに依拠する巾町村が多かったこと・・・


などがあげられます。

石鹸を選ぼう 6

現在、浄水処理で普通に実施されている塩素処理によって、水中に溶存している有機物質と塩素が反応して、有機塩素化合物(トリハロメタンなど)が新たに生成することが明らかにされました。


しかもこれら諸物質は、実験動物での調査から生理活性の阻害や発ガン性を有する恐れがあることも指摘されています。


このように今後さらに検討されるべき未知、未確認の影響については、現段階でいたずらに憂慮するよりも、汚染や富栄養化による原水質の悪化を防ぐために全力を尽くすことが肝要であることは、いうまでもないことでしょう。


ともあれ、少なくとも現時点で、富栄養化によす水の異臭化や美観の低下だけが問題ではない点に注目しておく必要があることは確かです。


この意味でも、河川に流入するリンの削減は大きな課題であると思います。


リンの供給源としては、かつて琵琶湖の場合には、合成洗剤がその20%を占めたほか、残りは工場、家庭の排水や屎尿などが占めていました。


日本のように大部分が軟水の地域では、やはりできるだけ石鹸を使用して、排水中のリン量のトータルな削減を目指すべきでしょう。


石鹸を選ぼう 5

1971年以来、京都市をはじめとする淀川水系の各地の水道水がときどきカビ臭を発するようになりました。


現在は活性炭を投入して悪臭を吸着除去する処置がとられています。


しかしこうした操作で、都市水道会計に対する浄水コストが巨大になり、それによる負担の増加は好ましいことではありません。


また、この方法では問題を完全に解決することもできません。


一般に細菌やカビ、プランクトンなどの微生物の代謝産物のなかには生理活性をもつものがあります。


これらは生態系における生物相のありかたに影響を及ぼすものと考えられます。


これら水中の生理活性物質の種別や質的、量的な実態についてはほとんど知られていません。


まして、こうした多種多様な化学物質が浄水場の現在の機能によっては完全には除去できないのです。


私たちが飲む水道水に混入して、微量とはいえ長期間摂取された場合、人体にどのような影響があるのか不明な点が多いといえます。