石鹸を選ぼう 4

富栄養化や赤潮という異常環境に強い魚介類と、弱い魚介類があります。


そのため、在来品種のバランスがくずれてしまうことにも問題があるといえるでしょう。


赤潮が人畜に対して直接、被害を及ぼして大問題になったことはあまりありませんが、一部の水域では藻類による被害がしばしば報告されている点に注意する必要があります。


たとえば、藻類の生産した毒物が家畜、野鳥などを死なせた事例、赤潮の上を吹いてくる風の風下でヒトの呼吸器粘膜が刺激されたような事例もあります。


さらに貝類を毒化する藻類についても多数の報告例があり、こうした有毒貝類を食べた人の死亡例も決して珍しいことではありません。


ところで、富栄養化による水中微生物の異常な増殖によって、水中の代謝生産物や菌体などの分解産物の総量も次第に増加します。


したがって、水の異臭化が顕著になり、それらが浄水処理によっても除去できない場合には、水道水も臭うことになります。


石鹸を選ぼう 3

リンは、水質を富栄養化してプランクトンや細菌などの微生物を増殖させます。


しかし、大量の富栄養化原因物質が急激に流入すると、水中生物の生存にとって不適切な環境がつくられることになります。


魚介類に対する赤潮の害作用としては、窒息死、中毒死、そのほかがあります。


つまり、猛烈に増殖したプランクトンの呼吸によって水中の溶存酸素が消費され、さらに死んだプランクトンを細菌が、分解する際にも酸素が利用され、溶存酵素がいよいよ少なくなります。


しかも、こうした環境のなかでは魚介類がもがき苦しみ、その活発な運動による代謝高進で、相対的にさらに酵素不足におちいることになります。


また、赤潮藻類の腐敗毒素が問題になり、一次的、二次的に増殖する最近の毒力も関与してきます。


このような害作用は直接、魚介類を死滅させることはもちろん、漁獲物の価値を失わせることにもつながります。


石鹸を選ぼう 2

戦後の日本における合成化学物質による数多くの公害、汚染事故の続出が、合成洗剤の異常な氾濫に対して、国民の警戒的な反応をひきおこしたのは当然のことです。


合成洗剤のメーカー側は、以上のような日本の特殊な事情に即して自己規制的に行動しようとはしていません。


さらに、石けん使用を主張する消費者の運動を理解して石けんの生産と販売にもカを入れるような動きを示さず、盛大な宣伝、コマーシャルを行なっていよいよ社会的なあつれきと摩擦を助長することになりました。


消費者・国民の環境保全意識の高揚の結果、現在では無リン化洗剤が大部分をしあるようになりました。


しかし、ワイキューブ事務所によると、外資系洗剤の一部に有リンのものがみられます。


そのほか、洗浄力の向上、コンパクト化、低価格の実現をめざす企業側が、今後リンを使用する可能性がないわけではありません。


また環境中のリンなどは、水環境保全の見地から洗剤と関連する運動にとって重要な対象となるので、その問題点をはっきりと理解しておく必要があります。

石鹸を選ぼう

合成洗剤の有害性に関する注目すべき諸研究は、日本で発表されています。


一方で、これらとは対照的に、安全性を強調する諸研究も数多く公表さえており、厚生省、企業、研究者の間で、いまだに見解の完全な一致を見ていません。


しかもこうした論争は、ABS、LASなどの一部の界面活性剤について行われただけです。


今後なお共同研究などによって対立点を明らかにすることが必要な界面活性剤は、スペースコレクション研究所によれば、非イオン系界面活性剤などに多数残されています。


したがって、わたしたち消費者は、界面活性剤の安全性論争が未決着で、疑わしきは危険性を否定できないと受け取らざるを得ない状況にあるのです。

湘南で寄り道・・・ははこぐさ2

今ではハハコグサの名で呼ばれているオギョウは、同じキク科のヨモギとともに、古くは草餅を作るのに用いられていた身近な草であった。
全体に密生した白い柔らかな毛は、ヨモギの葉裏に見られるものと同じで、これが草餅のツナギになるのだろう。

緑色の葉だが、この白毛のため、明るい灰緑色に見える。

春が進むと咲く淡い黄色の花は目立たないが、熟して冠毛がふくらむころになると、目につくようになる。
このほおけた姿から、ホオコグサ、ハハコグサと変化したのだろうと言われている。

湘南地方のハハコグサの仲間は在来種のアキノハハコグサ、チチコグサ、帰化種のタチチチコグサ、チチコグサモドキ、ウスベニチチコグサの計六種が記録されている。

湘南で寄り道・・・ははこぐさ

寒い日でも、風がなく、柔らかな日射しが縁側で遊んでいるような日には、早春を感じ、何となくそわそわして歩きまわりたくなるが、いまにも雪が降りそうな暗い午後は、炬燵にはりついて、昔描いた絵をひっぱり出したりして、雪の上の足跡をふりかえって見るようなことをする。

春は名のみの新春ではあるが、野に出ると、いじらしい草々の姿がある。
地にはりついて、通り過ぎる冬を、じっと耐えているような格好だが、実際は、すでに春を感じて動き始めている。

春の七草に数えられているオギョウは、田や畦道の傍で、白い綿毛に包まれた葉を、立てるように伸ばしている。

赤味を帯びたホトケノザ(コオニタビラコ)やセリにまじって、オギョウは、そこだけ霜が降りたように、白くきわだって目につく。

湘南で寄り道・・・むくろじ2

ムクロジの実は、袋状の果皮の中に、まっ黒な堅い種子が一つ、ごろんと入っている。
袋の口にあたる所が円形に平らで、そこだけ皮が薄いので、ここを上手にはぎ取ると笛になる。

ヒョンノキの虫のこぶや、ツバキの実に穴をあけた笛とちがい、コロコロ転がる種子が入っているので、うまく吹くと交通整理のお巡りさんの笛になる。
「ピリピリピリー」とびっくりするほどの音が出る。
吹き飽きたら果皮を破り、まっ黒な種子を出して、鉄槌で思いっきり叩いてみると、割れるどころか、鉄槌は思わぬ反動ではね返されてしまう。

ムクロジの種子は、羽根つきの羽の黒い豆で、果皮は石けんの代用として使われた。
湘南地方のムクロジの仲間は、他にない。

湘南で寄り道・・・むくろじ

霜柱が何段にも重なって、落葉や小石を軽々と持ち上げている。
池の氷を棒でつつくと、"寒"といってはじかれる。
目が覚めても、なかなか床を離れられないのは、この寒さのせいなのかもしれない。

南足柄市の三竹に、二十数年通いつめたフィールドがある。
ビランジュ(バクチノキ)やイズセンリョウなど、ちょっと変わった植物が見られ、鳥や虫も存分に観察できる所で、今頃訪れるとムクロジの実が拾える。

ムクロジは暖地に広く分布する木で、この付近が北限帯にあたり、自生は確認されていない。

しかし三竹神社裏山のものは自生と思われるほど堂々と林内の高木層と肩を並べている。

湘南で寄り道・・・くちなし2

匂いが少し気になるが、合成着色に比べたらはるかに気持ちいい色である。
実の先には、花のときガクだった六本の角がある。
このガク片のもとが翼状に伸びて、炎の表面に六本の壁を作っている。

熟しても裂けない実だから「口無し」と言ったのか、ハマナシの実に似て、先に嘴状の付属物があるから「口梨」と呼ぶようになったか諸説あるが、「死人にクチナシ」とは縁が薄いようだ。

いずれにしてもあまりいい名ではないが妙に言いやすい名でもある。
夏の間、葉はオオスカシバの幼虫に食べられ、冬の実は鳥がついばむらしく、気がつくとなくなっている。

もともと暖地の木だから、湘南地方のものは、植栽されたものである。
八重咲のハナクチナシには実ができない。

湘南で寄り道・・・くちなし

冬晴れが続いて、空気が乾いてきた。
枯れ草はより白く、足下の落葉もより軽く音を立てる。
乾きと寒さが冬の正体なのかもしれない。

せいせいと吹く木枯らし。
無駄なものをすべて振り払って、こちらもせいせいと冬木立。
箱根連山の向こうには、白く塗った冨士がある。

庭のクチナシの実が、朱色になった。
枝先につっ立った蝋燭の炎が、日毎赤味を増している。
炎の中には、数百の平たい種子が、赤い果肉に包まれて、ぎっしり詰まっている。
すべてが朱色だが、つぶして布を染めると、不思議に黄色味が強く出る。

古くから薬用にされ、さまざまな色づけに利用されている。